幸せと愛について

Posted by shogoto Category: Blog

 あー、前回の更新から結局二年たったか。

 この二年のうちに新しいアルバムでも出したか、出してない。何か変わったことはあったか、結構あったような気がするけど言語化できないことも多い。くっそ停滞してたんじゃないか、くっそお、きっとそうだ。でもなんかやろうとしてたかな、いやきっと違う。

    ただ、周りが変わっていって焦っている自分がいる。ん、何を焦ってるかわからない。何も焦っていないのかもしれない。でもこのもやもやはなんだろう。そもそももやもやしているか。わからない。わからないことばかりで困る。

 一年程前のこと、下北沢でライブがあって僕のことを知っているお客さんが来てくれた(目当ては僕ではない共演のバンドを見に来ていた)。彼女らは僕より断然若くて、なんだか無敵感があった。確かその時が初対面。三人組だったんだけど男性が一人で女性が二人で、声をかけてくれた。雑談の中で男性は詩をかいているって詩を見せてくれた。その詩もやっぱりなんだかキラキラしていた。後藤さんにとって幸せってどんなことですかと聞かれた。うーん、昨日作ったご飯があるんだけどそれをラップして今日のお昼食べたんだよね、それすごく幸せだなと感じたなと答えた。なんだそれ、意味わかんなと自分で思った。それを聞いた彼女も、うーんなんだそれという顔をしていた。うーんなんだそれなんだけど、輝いている彼女らがまぶしくてそのまぶしさをよくわからない言葉で覆い隠そうとしていた。男性が見せてくれた詩の中でカレーライスという詩があったんだけど、そっちのほうがよっぽど幸せってなんだろうねの解だった。カレーライスってめっちゃ幸せじゃん。

 先週、その下北沢のライブハウスでYoutubeの収録があった。初めて会うスタッフの人がいて、その人も今年成人式のそれぐらいだった。収録を手伝ってもらい、終わった後その人も含め三人で軽く飲みに行った。その若いスタッフは最近青森から東京に出てきてなんだか光っていた。結構飲んだ後、連れの一人がトイレに立ち、そいつと二人っきりになった。しぬ時の話なんですけどどんな感じでしにたいですかと質問してきた。間髪入れずに、愛だね、そのとき愛があふれていてほしいと答えた。この時も答えながらなんだこれって思った。愛ですかと言われた。うん、家族とかいそう、愛だよねとか言った。

 僕は論理的に物事を考えたり話したりできない。それはとても欠点だと思っている。そして、自分の思考を言語化できない。話すことはすきなんだけどうまくいかないことが多い。とても悲しい。だからいつも必死に話しているし、話し方に気を付けている(ときも多い)。でもやっぱりうまくいかない。正直普段何も考えていないんだと思う。でも頑張って、考えて話すことで自分の考えていることや気にしていること、大事にしていることが人と話しながらだんだんとわかってくることが多い。かなりの気づきを人との関係でもらっている。

 幸せって何、愛って何。最近自分の曲を聴いて考えてしまう。おそらく僕の曲を聴いて幸せとか愛ってこれだよなと何かを思っている人もいるかと思う。僕は正直わからないし、かなりそれは動いてしまう。そして、僕はめちゃくちゃ物事に感化されやすい。

 自分の思っている幸せって何を基準にしているか。今ふと頭の中で思った幸せな風景はだれに描かされたものか。その絵の中の愛はだれのものか。

 何かに、だれかに、刷り込まれている。家族だろうか、教育だろうか、環境だろうか、はたまたエンタメだろうか。

   ここ二年一緒に過ごした人にいろんな幸せと愛のかたちがあるってことを教えられた。今まで考えてきたようで全く理解していなかったことだった。人と出会って自分を知る。人と話して自分を知る。

 悲しいかな、思いもよらない、それぞれの幸せがあるんだってことにやっと気づいた28歳。